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Interview「代表が語る」


起業家インタビュー第3回 荒 幾則氏 [1/3ページ]

荒 幾則 (Ikunori (Iki) Ara) 氏
インテリアデザイナー、建築アドヴァイサー
英国王室公認デザイナー協会会員

自己紹介によるプロフィール

祖先は名字帯刀を持った商人で1610年頃浅草の材木問屋を開業したちゃきちゃきの江戸っ子。最先端を行きたがるのも下町でして、曾々祖父なんかは明治維新の途端髪を切ってきて洋風コロッケの作り方を覚えて皆にふるまったとか。親父の従兄弟小林秀夫は日本のメンズファッションの草分けのファッションデザイナーでEdwardsという会社を作りイタリアンファッションを紹介。
そんな中で育ち親父は家業を継げとは一切言わず、「材木などデカイものを在庫した商売」をするより「頭に在庫を入れた」設計の方が良いと勧めたくらいです。外国との繋がりは、荒家の私を含めた5人の従兄弟の内3人が国際結婚ですからとても自然な事のような気がします。



浜:生粋の江戸っ子なんですってね。

荒:ええ、分かっているだけでも1610年ころには浅草で商売を始めています。これは江戸時代が始まって直後です。親父の想像では「荒」って名字は東北に多いそうです。きっと伊達藩系じゃないかと思う・・・。

浜:伊達藩に「荒」って名字があるんですか?

荒:そう、関ヶ原で負けたからぱっと切り替えて江戸に出て商売を始めたんじゃないかなと。

浜:それで江戸へ。実は江戸っ子は新しいもの好きでもあるとか。

荒:そうです。確か曾々お爺さんだと思いますが慶応4年に明治維新になった途端、横浜だか横須賀に行って髪の毛を切って・・・。

浜:散切り頭にして・・・

荒:洋風コロッケの作り方を覚えてきて自分の店の人間に食べさせたと言っています。

浜:それは商売にはならなかったんですか?

荒:商売には・・・(笑)しようとは思わなかったみたいですけど。浅草の人間ってモダンが好きなんですよ。浅草の雷門の南が昔は材木町という名前だったんです。つまり材木屋さんが多かった。

浜:まさにその中で材木商を営んでおられた。

荒:何故浅草かとかというと隅田川で運んできたわけでね。分家もあって今戸橋とか言問(こととい)橋近くに出したりしてるんですが歌舞伎の絵の中にも出てきますよ、材木屋が並んでいるところなんか。

浜:そうですか、ところで話は前後しますが何故イギリスで起業したかというきっかけなんですが。

荒:おやじで9代目でしたけど自分の商売を継げとか固執していなかったですね。材木屋は見積もりを出してから納めるまでに大体一年以上たつことが多いんです。設計の段階の見積もりから材木が要るのはずっと後だったりする。

浜:ハイリスクですよね。

荒:ベターなのは安い時にたくさん買って抱えておいて売れば良いけど、東京は場所も高くなってきているわけだし。在庫を抱えていないと見積もりを出した時より高くなったりして損をする。そんな訳で東京で材木屋をするのは時代遅れだと。親父はそんなことを見ていて「頭に貯蓄した方がいい。設計の方が良い」なんて言っていましたね。

浜:フィジカルな在庫ではなく頭に知識として在庫しろと。

荒:それとは別に外国に将来「行きたい、住みたい」と考えていましたから。その両方を考えると外国に行っても建築をやっていれば何とか仕事は見つかるだろうし食べていけるだろうって。