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Interview「代表が語る」


起業家インタビュー第8回 原田 豊氏 [2/3ページ]


原田:本人は、そのパテントが売りでそのパテントを使ってやろうということだったが、パテントの維持費が払えなくなった。本人は発明家で、お金がないと奥さんにお金を出して貰っていたが、奥さんとうまく行かなくなって結局奥さんにお金を出してもらえなくなった。

松尾:そういう発明の人ってマーケティングが下手だったりしますもんね。

原田:その前にね、バーミンガムにNIMTEC (New and Improved Technology)というイギリスの新技術を広めようという会社と提携して。そこが結構手伝ってくれた。しかし、そこも最後はほかの会社に吸収されて、コンタクト途絶えたんですよ。

松尾:コーディネーションとか販売支援とかいろんなことやられてたんですね?

原田:日本にもコンタクトがあって、日本の技術や、日本のヘリコプターを売りたいといって結構これも動いたんですけど、結局はものにならなかった。

松尾:まあ、そういうことっていろいろありますからね。それは私もそうですけど、サクセスフィーっていうのは難しいんでやらないんです。だからその多少低めのフィープラスサクセスフィーだったらいいんですけどね、ゼロっていうのはこっちのキャッシュが続かない。

原田:まあ、料金設定というかそれがまずかったといえばまずかった。ほとんどがサクセスフィーだったんで。

松尾:そういうのは経験しないとわからないですよね。

原田:もうひとつは、95年に起業したんですけど、98年からJETROで手伝うようになったんですよ。当時の所長にお話をいただいて。要するに対日投資という仕事をやろうと。日本で対日投資アドバイザーというのを募集して、さくら銀行の人が95年にきたんですよ。で、3年間いて、彼はロンドンだけじゃなくて対日投資が広まる前、ヨーロッパ全体の対日投資を担当すべく来て、資金的な関係で後任がこれないということがわかって、所長さんはせっかく始めた仕事だし、まあ日本から来た人もがんばってきて、これからというときにやめちゃうのはもったいない、何とかできないかということを考えて、そういえば原田ってやつは辞めてここに残ることになっていたなって、それで話をいただいた。で週2日でしかもイギリスだけでいいって、当時はそんなにその対日投資って騒ぐ前だからJETROの担当者がいなくて私が一人でお客を見つけてインタビューして、その書類を書いて東京に送ってという。東京でも対日投資課っていうのはできたばっかりくらい、要するに95年の時にできた。

松尾:本当に最初の段階ですね。

原田:そうですね、まだ、だから経産省も対日投資に力を入れる前でした。98年からですからもう17-8年くらいになります。

松尾:で今も週2日ですか?

原田:今は週に3日。

松尾:JETROの対日投資専任のスタッフは何人ですか?

原田:現在私を入れて全部で6人です。一人日本から来ていて、あとは全部現地採用。

松尾:ずっと延長できたらいいですね。当面っていうか、今の状況でできるだけ続けていければいいなあと?ご自分の中でもう何歳になったら辞めようとか、あと2年で辞めようとかそういうのはないですか?

原田:ないですね。

松尾:それも重要ですよね。仕事ができるっていうことは、すばらしいですよ。

原田:私の会社のほうもね、その今までのような活動はできないけれども、たまたま娘がね、コーチングをやってるんですよ。今はセルフ・エンプロイドでやっているけれども、今の会社を使ってもいい。私はだから会長かなにかで。

松尾:もしJETROが終わっても、その会社の器はあるんで、そっちのほうでも何かできるかなあっていう感じですか?

原田:ときどき娘と話してるんですけど。

松尾:それはいいですね。器はせっかく作ってるんでね。つぶす必要はないかと。そんなコストかからないじゃないですか、イギリスの場合。

原田:そうですね。今自宅でやってますから。